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おたがい

おたがい

「神様は、その人が耐えられるだけの試練しか与えない。」のであれば、今までの私に与えられた試練は、乗り越えられるモノ。乗り越えるべきモノであって、それを乗り越えてなお、何かを伝えるための試練。そう考えて乗り越えるべく、さまざまな偏見や、苦しみも耐え、辛い思いもして、ひたすらリハビリ治療を重ねた。ただ、社会復帰を願って。
 身体の不自由な人も、お年寄りも、子供も、社会的には弱者ではあるけれども、決して人間的に劣っているわけではない。人間には強弱があっても優劣はない。だから、身体的にハンデキャップがあっても、障がい者であっても、自分にできる事をやり、自分たちの暮らしている社会に貢献しなければならないのである。手がなくったて、足がなくなっても、生きている限りは、その人生は終わっていない。普通では何でもない事でも難しい事、上手くできない事、大変な事が多いのだけれど。今まで生きてきて、一度も人に迷惑をかけたことも、人の世話になった事がなく生きてきた人なんて誰もいない。だから、甘えてもいいんじゃないかな。自分が生きてゆくために必要な事、それがどうしてもやりたい事だったら、周りに手伝ってもらって、いいんじゃないかな。それを迷惑だって思う人は少ないんじゃないかな。社会にはたくさんの人がいて、色々な人がいるもんだ。健常者がいて、障がい者もいる。人それぞれに得意な事があって、できることもある。できないこともある。身体的にハンデキャップを抱えた人もたくさんいる。いろんな仕事をしている人がいて、そうして成り立っている社会で生きなければならない。この世に必要とされないモノ、無駄なモノなんてない。この社会にとって、自分にとって大事なモノは、目に見えないモノ。それを見つけ大事にしていくことが大切な事だと思う。自分の身に降りかかってくる事は楽しい、うれしい、といった。良い事ばかりではなく、つらく、苦しい、というようなことのほうが多いいかもしれないが、あなたは自分ひとりで闘わなくてもいいんだよ、私たちがついているんだから大丈夫、心配ない。”おたがい”だから。困った時は”おたがい”。不遇な時、不幸な事は誰にでも起きる。今は大丈夫かも知れないが、いつまでも良いという保障はない。
 他と比べる事はやめ、「自分はそれをやりたいんだ。でもいまはできない。だから、できるように頑張る。」と思い「それができなくて困るのは自分。」と言い聞かせてやるしかない。後の事(その先の事)を考えて躊躇するのではなく、今できることをやるしかない。結果なんてどうだっていい、後からわかる事かも知れないが、まったく興味はない。結果によって、やるかやらないというわけではない。極端に言えば、「何を努力してもしょうがない。どうせ死ぬのだから、苦しいことなんかする事ない。」と開き直って送るのも人生なのかも知れないが、私はそれは嫌だ。自分の人生は自分の好きにさせてもう。自分が納得いくようにさせてもらう。大体何のためにリハビリ治療をやっているの? 人と比べるためではない、自分のためである。人に勝つ事が目的だとしたら、あんなに辛い事を、あれほど苦しい思いをしてまでも頑張る事はしない。では、何のためにリハビリ治療をやるの?社会復帰するため、それは自分のためにもなるかもしれないが、「この世のモノには、むだなモノなんてない。」ということを、身をもって伝えたかった。
 世の中の人は自分より幸せだとは限りません。けれど、気持ちにゆとりがなかったり、病気になったりして弱気になってしまった状態の時には、世の中の人は、自分以外の人は、みんなが幸せに見えてくるのです。どうしたらいいのかとただ闇雲に考えていても、考えた事がその通りになる事もなければ、行動に移す事が中々できるモノではありません。心が萎縮したままでは、決して良い考えは浮かばず、まして、それを行動に移す事はできないモノでした。
 
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